ネジとボビンに見る僕の仕事のキホン

 うちの実家は、ものごころつく前からずっと商店街の小売店を生業にしていて、カーテンや服を扱っていた関係から、家の中にはどでかい業務用ミシンが鎮座していた。足元のプレートを踏むともの凄い音とスピードで動き出すやつで、当時5~6歳だった自分は親の目を盗んでこっそりそれを動かして超絶にびびり、何度か試してみたけどやっぱりびびり、「これは俺の手におえるものじゃない」と判断して、それ以来ミシンは怖くて扱えなくなった。今もそう。

 そんなチビの頃、家の中によく転がっているけど何をするものかわからなくて不思議だったのがボビン。
 金属だから当然固い。この固さは鋼鉄ジーグの超合金フィギュアに等しい。つまりなんかかっこいい。丸いから押せば転がるし、それがたくさんあるということは4つ並べて車だって作れちゃう。

 これは、すごいな……。

 そう判断した(んだと思う)当時の僕は、これは何かの部品に違いないとたくさん溜め込んでいくことに決めた。

 同時に家の中や、外でたまに見かけるネジも拾い集めるようにした。

 だってネジといえばロボの部品なのは間違いない。要するに、何かすごそうな部品であるボビンと(そんな名前は知らなかったけど)、ネジをたくさん集めたら、ロボットが作れるんじゃないかと思ったのです。
 だってデカくて立派なロボだって、破壊されたらネジとかが飛び散るんだから、小さい範囲をよく見ればネジや細かい部品の集合体であるはず。なんだかよくわからないけどどこまでも転がる不思議な金属部品であるボビンは毎日家から無限に湧いてくるし、じゃあこれをネジでつなげていけば、やがて手ができて、やがて胴体もくっついて、やがてロボが完成するに違いない。

 そうして集めはじめて、結末がどうなったのかは知らない。ボビンにネジを挿してもくっつかないと気づいた記憶はあるから、たぶんご飯粒でくっつけようとして、それでもくっつかなくて絶望したのかもしれない。もしくは存在自体をすっかり忘れて(飽きっぽかったから)外へ遊びに出てる間に、ゴミと判断した母親が捨ててしまったのかもしれない。

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 まあなんせそういうことを経験しながら大人になって、僕はプログラマになった。なんかややこしいシステムの話をされて、「そんなんどうやったらできるんや……」と絶望するところから考えはじめてちょっとずつ機能を分解していったら、「ああこれをちまちま作れば組み上がるな」と実感できてそれを納めて、そしたら次のシステムがあって「そんなんどうやったら……」からの繰り返し。
 それから今度は本を書く身に移って、「そんな本どう書いたらまとまるんや……」と絶望するところから考えはじめて、やっぱりこっちも細かく章立てを区切って小さく小さく考える範囲を狭めたらその積み重ねで出来上がっていく。

 ああ、けっきょく自分は、あの時思った「ネジとボビン」を今も繰り返してるだけなんだな。

 あの時、ネジだけじゃなくてナットの存在に気づいていたら未来はどう変わったんだろう。そんなことをちょっと可笑しく思い出したのでした。

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