弱り切った時のアウトプットにこそ本当の実力が出る……と思って踏ん張る毎日

 本を一冊書くというのはなかなかの長丁場で、ペース配分が大事になってきます。この仕事に就いた当初10年くらいは、本の企画を通すと毎回ブルーになっていました。最後までちゃんと書けるかな、これを書き切れるだけの力があるかな、そんな不安が押し寄せてきて自信が持てなかったのです。

 いくつかのパターンの書籍を手がけて色々実験していったことで、自分の中に鉄板となる段取りが形成されました。そうすると、だいたいこの段取り通りに作業を進めていけば間違いなく完了させることができるという自信も身につきました。
 それが11年目以降くらいのこと。
 依然として締め切りを守れるか否か、途方もない分量に絶望しそうになったりしないかといった気がかりは残りながらも、「必ず書き上げられる」という自信が持てるようになったのはものすごく大きくて、不安で潰れそうになることはまずなくなりました。

 ところがここ5~6年、いや3~4年かもしれない。ペース配分した上でゴールへ向かっているはずなのに、どうも終わりが見えたあたりで力尽きるようになりました。今もそう。普段ならなんてことないはずの原稿が、完全に筆が止まってしまって進まないでいます。

 この、「力尽きて筆が動かなくなった状態」から、最後の最後のゴールにたどり着くひとあがきが、年々苦しくなってきているのを感じます。

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歳を重ねて失ったもの

 長丁場の仕事が一本調子に最後まで行けるということはまずなくて、だいたいその流れには波が出てくるものだと思います。

 自分の場合はまず最初がめちゃくちゃ生産性が高くて、かつ集中力もすごく発揮される。これが最初の1カ月くらい。その後は効率が上がる一方でマンネリ化の懸念が生じ始める時期。ついつい同じパターンにはめ込みがちになり、創造性の枠がどんどん狭まっていく。これじゃダメだと内側から広げようとしたり、なんとか脳をリセットできないか苦闘したり。寝て起きたら丸ごと数ページをゴミ箱に放り込んだりするのもこの時期。そうして精神的にすり減りながら前へ前へ進んでいく。その後、ゴールが見えてくるとすり減った気持ちが俄然勢いを取り戻し、初期の1カ月みたいな底力が出てきます。これで一気にゴールまでダッシュできれば万々歳。

 30代の頃は、確実にこの「最後の底力」が出てきた時はフィニッシュ確実の勝利方程式だったんですよね。
 ところがこれが最近になると、ダッシュがほんとプチダッシュになっちゃってて、すぐにブースト状態が終わってしまうのです。以前なら100mダッシュだったものが、今は10mダッシュくらいになっちゃってる。

 老いですねえ……さみしいもんです。

歳を重ねて得たもの

 そんなわけで、ゴールが見えてダッシュして力尽きて、そこからゴールまでの道のりが、ほんとにきつくなりました。ところが面白いことに、ここ数年の自分の作業を見ていると、この最後に苦しんでる時期こそが、一番原稿のクオリティが高くなっているのです。

 まだこの職に移る前の若かった頃、ちょこちょことWebサイトに4コマまんがを載せて喜んでいた時期は、自分のアウトプットと感情が常にシンクロしていました。だから会社や家庭で揉めてる時にはまず描けない。こんなささくれだった気持ちでギャグなんか描けるか、笑い顔なんて描けるかって思ってた。

 その分ストレートに感情がのっかって描けていた部分もあるとは思いますが、仕事にすると当然「不機嫌だから描けない」なんて言ってられません。機嫌が良かろうが悪かろうが、体調が良かろうが悪かろうが、とにかく安定したクオリティのものを淡々と出せなきゃいけない。

 どうやらその思いが、最後の体力が尽きた場面になっても、クオリティの下支えとして働いてくれているようです。

 老いた結果勢いだけで乗り切れなくなる一方で、そうした「常に安定したクオリティをアウトプットできないと駄目」と心がけた結果がこうして実を結んでいると考えると、なんというか「無駄に歳を重ねてきたわけじゃないな」と自分の道のりが実感できて、少し救われます。

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不調な時にこそ実力があらわれる

 僕は、仕事をする上で一番大切なことは、「不調な時にどう過ごすか(不調時のマイナスをいかに減らすか)」だと思っています。それについて書き出すとまた長くなるので、そっちはいずれ別記事として書くとして、その信念に従うと最後に力尽きて書けなくなった時にこそどう乗り切るかが問われることになるわけです。

 好調な時にはいいものを描くけど、不調な時にはろくでもない。それが許されるのは、感性に生きる芸術家であったり、趣味として取り組んでいる人だという思いがあります。
 僕のような「要望に応える製品を生み出してなんぼ」の職人側に属する人間は、むしろ一番状態が悪い時にどの程度のクオリティが保てるか、その最低品質保証こそが実力と見なされます。そりゃそうですよ、家のリフォームで内装屋さんに来てもらって壁紙貼り替えをお願いしたら「今日は機嫌が悪いからあちこち雑だけど納得してね」なんて通るはずもありません。

 最後の苦しんでいる時期にクオリティが上がっている理由は、多分「今この時点が自分の実力として評価される」という自覚がうっすらあるからでしょう。半ば意地のようなものがその瞬間発生して、丁寧に丁寧に仕事を行うようクセづいているみたいです。

 年々しんどくはなってきましたけど、まだこの最後のクオリティが保てている間は大丈夫。そんな風に自身の作業を評価しながら、亀の歩みで前に進む日が続いています。

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