「いらすとや」さんに対する悲鳴と図書館論争に抱く類似点

 先日、Twitterでサタケシュンスケさんのツイートから、次の記事を目にしました。

 そんでもって、サタケさんの記事がこちら。

 サタケさんの結論は「殺さない」であり、自分もそれに同感です。基本的に「いらすとや」さんとは「そもそもの市場が違う」とも思っています。

 そもそも…とより考えていけば、この問題、中古本や図書館論争に近いものじゃないでしょうか。あれも、「書き手の収入を奪う敵」だとよく取り沙汰にされるもので、その構図が似ているように思えるのです。

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文化のパイを大きくするためには裾野を広く育てる必要がある

 僕は本というのは読書文化というひとつの形だと思っています。文化にはそれを担う人がいて、本の場合は書く人と読む人で成り立ってる。書く人もその多くは最初から書く人だったわけじゃなくて、まず読む人となり、刺激を受け、自分でもまとめたいと思って形にして、そして誰かがまたそれを読む。
 この繰り返しで、全体としてのパイは大きく育ち、これが大きいほど購買力も上がって、書き手が報われる率も高まっていく。

 この読書文化を大きく育てて維持するためには、まず作品にふれる場所というのが必要です。
 だから義務教育の場に図書室は必須だと思いますし、図書館も、中古本も、そこに目くじらをたてて潰しにかかると、市場が縮小するばかりで裾野は広がらなくなり、結果として逆効果になると思うわけです(それぞれ個別に見れば無視できない問題もあるけどそれはさておいて)。
 もっとも、書き手としては「あの本面白かったです!中古で買いました!」とか、「あの本すらすら読めて最高ですね!立ち読みで一気に読んじゃいました!」と言われると正直微妙な気持ちになるので、そこは伏せておいてもらえるとありがたい…と思ったりしますけど。

 で、件の「いらすとや」さん。これも同じだと思うんですね。

「いらすとや」さんはむしろ文化を広げている

 「いらすとや」さんの登場前後で考えると、ちょっとした文書や街ナカに貼られる手作りポスターなど、様々なところで、イラストを目にすることが増えました。それは「いらすとや」さんの絵ではあるけれど、もっと広い目で見れば「イラストを使う範囲が広がった」とも取れるわけです。

 そもそもですね、無料イラスト素材なんて、もっとずっと古くからありました。
 パソコンでMicrosoft WORDを使って文書を作ろうとすれば、そこにはクリップアート集が入っていて、マウスでポンポン配置して使うことができたんです。でも、公民館のパソコン教室で習って作ってみましたみたいな紙っぺらには使われていても、普段それを今ほどの頻度で目にすることはありませんでした。

 それはイラストのクオリティが低かったからです。

 もっと言えば、「イラストを入れた方が文書がちゃちくなって見栄えが悪い」「逆効果だ」と利用者が思ったからです。

 「いらすとや」さんの絵は、そこの認識を変えたと思うのです。「ちょっと絵を入れるだけでこんなにいい感じになるのか」と、イラストの地位を押し上げた。今までなら文書にイラストを入れたりしなかったような人にまで、「ちょっと入れたい」と思わせることに成功した。そしてそれは、当然その文書やポスターを目にした人にも伝播します。

 その結果、イラストを使いたいと思わせる裾野をぐっと広げたんじゃあないでしょうか。需要を奪うどころか、作り出したとすら思います。

クライアントを選別する指標にもなりつつある

 もちろんこれによって、「じゃあこれでいいや」と無料素材に走るクライアントも当然出てきます。だから需要を増やすだけじゃなくて奪う結果につながっているのも当然ないとは言えません。そういうところも図書館なんかとある意味同じ。

 でもそもそもそのクライアントって、そういうクライアントだったんじゃないか?って思うんですよね。

 「いらすとや」さんの絵を当たり前に目にするようになって以来、「いや、そこは予算つけようよ」と思うところでその絵を目にする機会は決して珍しくありません。
 そこで思うのは「市場を奪われた/つぶされた」ではなく、「そういうクライアントだったんだろうな」ということです。多分もとからまともな予算つけてなかったんじゃないかな…と。イラストが単なる刺身のつま程度の扱いなんだろうな…と。

 じゃあそういうところはお任せして、自分たちはよりイラストを高く評価してくれる優良なクライアントさんのもとで頑張る。そうした選別の指標として、棲み分けするのが平和だよなーと思うわけです。

 冒頭に書いた「そもそもの市場が違う」というのは、そういう意味。

 とはいえ、「いらすとや」さんに限らずストックイラスト分野も盛り上がっているようですし、「依頼しなくても適切な絵を選んで使える」という利便性の広がりは無視できません。市場が違うと安穏としてる間に飲み込まれたりしないよう、自分自身の個性も磨かねば…と、少し薄ら寒い気もしなくはない今日この頃です。

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