『わかばちゃんと学ぶ○○』シリーズでご活躍中の、湊川あいさんに会ってきた

 リクルート関係の人で、僕がフリーになった初期の初期に知り合って、特に仕事をご一緒することはないんだけど、気さくな人で会うと美味しいものを食べさせてくれるという方がおります。一時期リクルートで仕事しまくってた時も、直接のつながり自体はなくて、でもその時期が終わってあまりリクルート関係の人と接点がなくなった今も、なんか知らないけどつながってる。そんな奇妙な人。

 その人から久しぶりに連絡があって、「今打ち上げで湊川あいさんと話してるんだけど、きたみくんのファンだって言うから今度一緒に飲もうよ」と。
 だいたい同業さんから仲間扱いされない自分としては(なんかイラストレーターでもないしライターでもないし漫画家でもない扱いだからすっぽりはまる位置がないの)同業さんから会いたがってもらえるのは嬉しいし、そもそも「ファン」とか言ってくれる存在もかなり希少種。そりゃお断りする理由ないですわーってことで、先週末に都内某店でお会いしてきました。楽しかったです。
 あ、湊川あいさんの作品は、リクナビNEXTジャーナルでたくさん見ることができます。絵がかわいいですよ。

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「マンガでわかる」系の本は自分と似た場所に居るようでまったくベクトルの違う表現なので、その視点の違いがおもしろい

「マンガでわかる」や「マンガで解説」というと、自分もそういうジャンルにいると思われがちなのですが、僕自身の認識ではまったく別のジャンルだと思っています。だから、自分のコミックエッセイでの表現方法を解説系の本に用いるつもりはないですし、それは自分の中ではちゃんと理由があって「これは最適な手法ではない」と判断して行っている選択です。

 でもその違い、技術書を出す版元系の編集さんと話していて、細かい説明を抜きにピンと来てもらえることはまずありません。「マンガなら読みやすいから」「マンガなら読んでもらえるから」という認識で止まっていることが多いので、マンガっぽい表現手法を使っていたら全部一律「マンガ」になるし、そもそも「なぜマンガの表現形態をとるのか」というあたりの理由も薄いように思うのです。

 この日、湊川さんと話していて一番おもしろかったのがそこでした。
 曰く、「私は、読者の人にわかばちゃんと一緒に体験をして欲しいんです」と。
 わからないところから、わかるに至る流れを、読者の人に疑似体験してもらうためにマンガという表現を用いる必要がある。そんな風に、理由がすごくはっきりしていたのです。
 ちなみに僕はというと、「しくみを視覚的に捉えて理解してもらうため」にマンガ的表現を用いています。このまったくちがう感じがおもしろい。

 一方、「まったく同じ」というものもありました。それは「時間軸をコントロールできる表現がマンガ」という点。

 まったく違うところ、まったく同じところ、近しいジャンルを表現するアプローチとして、違うからこそおもしろくて、刺激を受けるところは多いです。しかも彼女は女性で、かつ若い。自分にはないSNSネイティブ世代だからこそできる自然なコミュニティのありようがそこにはあるわけで、僕が本質的には知ることができないであろうそのへんも、話していておもしろみを感じるところでした。
 若いっていいよね…としみじみ。

ごちそうさまでした

 この日は、「何か食べたいもののリクエストとかある?」って冒頭の人に聞かれたので、「赤ワインが美味しく飲める店がいいなー」と答えたんですよ。そしたら「じゃあ肉だな」となって、行ってみたら出てきたのがこれ…。

 当然これだけじゃなくて、他にもこんな感じのがぞろぞろと出てきて、値段もまあ後で聞いてみたら恐ろしい。この仕事をするようになって、色んな版元さんで打ち上げやなんやかやで叙々苑とかあちこち連れてってもらいましたけど、多分これまでで一番お高い肉だったと思う。ごちそうさまでした。

 恐ろしいから次からは安易にリクエストとかしないでおこう…。

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