少し前に、こちらの記事に本人が書いたように、スタッフのイシクラさん(以降、スタッフちゃん)が、本を出せることになりました。
今は企画が通ってプロットも固め終わり、そろそろ本文に着手してるあたり……になるのかな?自分のあずかり知らないところで進んでいる話なので、本人や編集さんから茶飲み話程度に聞く範囲でしかわかりませんが、編集さんも処女作ということでじっくり育てながら取り組んでくれているようですし、きっと良い本になることでしょう。
今日は、そこから少し視点をずらした、この子のこういう長所がその仕事に結びついたんだよな……と思う点を書きたいと思います。それは自分自身も、「フリーランスとして大事だと思う姿勢」として、常々意識していることだからです。
「わからない」は滅びの言葉
少し最初に自分語りをすると、僕はまったくの未経験者として、プログラマ畑で社会人生活を開始しました。プログラミングどころかマウスもさわったことがない始末。ディレクトリやファイルなんて言葉もちんぷんかんぷん。もう30年近く昔の話になります。
それでも親切な先輩方が、嫌々言いながらも教えてくれたり、面白がって色んな機会を授けてくれたりするうちに、なんとかかんとかキャリアを形成して、後につなげていくことができたと思っています。
この時、自分自身に課していたことは様々あったんですが、そのうちのひとつが「『わからない』と思わないこと」でした。そう思ってしまったら、目の前の扉が閉じてしまって、二度とそこは開けられなくなる気がしたのです。
この気持ち、実は今も変わっていません。「わからない」と自覚してしまったら扉は閉じる。
フリーランスで生きていくのは、正直「わからない」ことの連続です。会社のように教育係なんてついてくれませんし、根気よく教えてくれる人なんてまずいません。
ですから、「わからない」と自覚して扉を閉めてしまったら、その扉は二度と開かない。「わからない」という言葉で自己暗示にかかってしまった時に、向こう側から扉を開いて引っ張ってくれる存在なんて、フリーランス稼業には存在しないのです。
スタッフちゃんの長所
うちの職場にスタッフちゃんが来て、最初に「良いな」と思ったのは、「私にはわからない」と言わないところでした。
うちの職場で実務を通して学べることなんてたかが知れているので、できる限り作業を任せる時には「その作業の意味」とか「何を意識して行うべきか」とか、その人自身が先々の仕事にも生かせるようになれたらいいなと、裏側の理屈をワンセットで伝えるように気をつけています。
たとえば写真を撮る仕事をしてもらう時は、その前に時間を割いて「絞りとシャッタースピードとISO感度と露出補正の関係」「望遠と広角で撮れる画の違い」「ズームレンズと単焦点レンズの違い」「フルサイズやAPS-C、1インチセンサーなど撮像素子による違い」なんかの話をしますし、手数が必要な単純作業なんかの場合は、便利なエディタやプログラミングによる工数削減のやり方を教えたりします。イラストレーターとして来てみたらViエディタの使い方をレクチャーされたりするので、面食らうことも多かったと思います。
実際、目を見てると微妙にそらして小刻みに揺れ始めたりするので、「ああ、わからないんだなー」とこちらも理解するんですけど、本人はそれでも素直にうんうん頷いて聞いてるんですね。
決して、「わからない」とは言わないんです。
代わりに、「今はわかりません」と言うんです。
うちに来るようになったかなり最初の頃、その言葉を聞いて「あ、この子は自分と同じ考え方をする子だ」と嬉しくなったのを覚えています。
扉は開いたまま置いておけばいい
フリーランスの集まりなどで同業者と話をする時、そこに専門家の方もまじっていたりしてお金の話になることがままあります。ただ、特にイラストレーターさんや漫画家さんは感性で生きている人が多いのか、お金の話をしているのにお金の理屈の話になると「無理!そういうのわからない!」と扉を閉めてしまう人が少なくありません。
「わからない」と思った時点で、自分の中から理解の芽は消え去ります。しかもそうして扉を閉めた人の周りからは、その話題自体が消えてなくなります。これが何より怖い。
だってただでさえわからないのに、情報も集まらなくなってしまったら、理解に至る道スジがまったく想像できなくなりますもん。
そうはいっても、わからないものはわからない。わかった振りをするのも違う気がするし、じゃあどうしたらいいんだろう。
その答えが、「今はわからない」と頭の中に留め置くことだと僕は思っています。
考えなきゃいけないこと、興味のある物事なんて世の中にはたくさんあるんだから、すべてをその場で理解なんてできなくていい……と僕は思うのです。当たり前ですよ、たとえば法律家先生の言うことを、法律ど素人の自分が即座に理解しようなんて、それこそ逆にうぬぼれが過ぎるというものです。
だから割り切って、「今はわからない」「今の自分には、まだ理解に至るだけの素養がない」でいいんです。いつかわかるタイミングが来た時のために、今はそのタネとして頭に入れておきたいから、話自体は続けてください覚えておきます、で良いのです。
実際、上で「今はわからない」と言っていたスタッフちゃん。その後「あの時のあれがわかるようになりました」と言ってきたのは一度や二度ではありません。聞けば家で継続してコツコツと勉強を続けていたり、ネットや本で関連する話が出てきたら「あの時の話だ」と思い出すよう心がけていた様子。
知識というのは不思議なもので、知識のタネが増えれば増えるほど、経験を積めば積むほど、それまでわからなかったものがいきなり関連性を持って理解への道筋を示してくれることが少なくありません。
だから扉は「わからない」と閉じてしまわないことが大事なのです。わからないならそのまま置いておけばいい。閉めた扉は二度と開くことはないですが、わざわざ閉めずとも開けっぱなしにしておけば、いつかそこを通って向こう側に行ける可能性は0%ではないのです。
放り込むのを楽しむ姿が、なんだかとっても懐かしい
で、ざっくばらんに言っちゃえば、扉を閉めることなく好奇心を持って話を聞いてくれる人って、話してて楽しいんですよね。さらに成長までしてくれるなら尚更です。
うちのスタッフちゃんと話す編集さんの姿を見ていると、わからないなりに話を聞いて、少しずつでも成長してくれることが楽しくて仕方ない様子。ぽんと知識を放り込んでみれば何らかの成長が見える。面白いからまた放り込んでみる。また変化がある。適量を考えずにぽんぽん放り込んでみても、まずは心の中に留め置いて、その中からわかる部分を取り出して実践しながらうまく成長につなげてる。
その繰り返しが、編集さんにとって「この子と仕事をしてみたい」と思うきっかけになったことは想像に難くありません。
思えば昔の僕も、そうやって年長者からかわいがられていたような気がします。僕だって決して頭は良くなくて、どちらかというと鈍い方だと思いますけど、なんか放り込んでみたらシャットアウトせずに変化する様子が面白かったんでしょうね。
飲み込みの早さと頭の良さは、決してイコールではないと思っています。「カメとウサギ」の寓話にもあるように、足の早さが必ずしも「その人の到達点」を決定づけるものではないはずです。
しかし、飲み込むための情報が集まらなければ、そもそも成長につなげることもできません。寄る辺ないフリーランスだからこそ、ぽんぽんと知識を放り込んでもらえるように、結論を急ぐことなく「“今は”わからない」と己を留め置ける姿勢が大事なのだと、彼女の成長を見ながらあらためて思うのでした。
ブログ趣旨とは違いますが、年取ると批難されることばかりだなと思うこともあります。でもそれでいいんだなって思ってます。年配の人にあなた結構出来ますねって言われる方が失礼に感じますしね‥
僕もそうですがおっさんになるとサンドバッグ化することも多いですよね~、お互いがんばりましょう(^-^;