夢は願えば叶うのか

 TwitterなどのSNSが当たり前になって、フリーランスといった業態の人を見かける機会が増えた。フリーランス志望な会社員さんや、副業フリーランサーみたいな人も、よく見かけるようになった気がします。

 そうした人たちを見ていて最近「危険だなあ」って思うのが、「夢は口に出した方が叶いやすいよ」みたいな風潮です。少し前に流行った「引き寄せの法則」みたいなものなのか、ただ願っていればいつか叶うと、そう信じて夢だけを語っている。

 不興を覚悟で言えば、願ったって叶わない。実際に、願って叶わなかった人たちをわんさと見てきたから余計にそう思います。

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「ただ願う」ことの怖さ

 サラリーマン時代の副業から数えれば、フリーランス的な世界に片足をつっこんでから、僕はもう20年以上が経つことになります。
 当然最初は周りの皆さんが先輩だし、上から目線で色々言ってくる人だっていた。同じくらいの時期にライターデビューして、早々に売れっ子になっていった人もいる。

 そういう人たちと酒を飲むと、みんな「俺は見えている」「俺はこうなる」と大言壮語をするわけです。それを頼もしく思うことや、それをうぬぼれと思うこと、それはその時々で様々だったけど、等しく皆、それを信じていたし、強く願っていたのは間違いない。

 自分が知り合った範囲の人なんてごく限られた世界でしかなくて、知り合った人数もしれたものでしかありません。それでもこの20年で、関わってきた人は随分消えたというのが実感です。特に、第一線で存在感を発揮していたそのままにどこかしらで活躍している人……と考えてみた時、そこに該当する人はもう両手にも満たないんじゃないだろうかとまで思います。

 そうした中で、特に「怖いな」と思ったことがひとつ。願いからくる落差です。

 自分の未来を大きく思い描いていた人。それを願い、一時的にでも良い時期があり、そしてその先の未来も強く大きく願っていた人。
 あの人たちは、本当に心の底から「自分はそうなる」と信じて疑ってなかった。でもずーっと右肩下がりの出版業界にあって、どんどん本が売れなくなって、居場所がなくなって、夢を信じたままに沈んでいった。夢と現実との乖離が大きくなって、願うことばかりが増えて、自分の中の整合性が取れなくなって、やがて精神的に落ち込んで取り返しがつかなくなった。

 願えば叶うなら、みんなパチンコ屋に通えばお金持ちなわけですよ。
 願っても願っても無情に吸い込まれていくパッキーカードこそが現実なわけです。

 夢は願えば願うほど、叶うどころか絶望との落差を広げるだけでしかないとすら思うのです。

夢はぶら下げてこそ意味がある

 じゃあ夢って抱くだけ無駄なのか。もちろんそんなことはありません。ただ、個人的には「叶う」ものじゃなくて「叶える」ものだと思っています。

 夢って、願うだけだと単なる夢のままなんですよね。でもこれを叶えようと思えば、それは「目標」って言葉に変わるのです。

 目標は、自身の目指すべき道しるべとして機能します。遠くの方で空からぶら下がって「ほーらここだよーこれだよー」とわかりやすく目立つものです。
 そうして目標に向かって進むんだけど、最短距離が正解とは限らない。時には崖を迂回したり、時には渡河するための橋を探したり、時には来た道を戻って新しい進路を探すこともあるかもしれない。
 でも、夢を具体的な目標に置き換えていれば、それは遠くの方でいつもぷらーんとぶら下がっていて、進むべき方角を示してくれる。だから何度道を選び直しても、進むべき次の一歩を見失うことがない。

 それこそが、夢の役割じゃないかなと思うわけです。

 まあ、すんごい目の前までたどり着いたんだけど、そこには広く深い崖が広がっていて、残念どこまで戻るべきかも見えません……みたいなこともあるのがいじわるなとこですが。こればっかりは、それも人生よねと笑うしかない。

夢は目標に、目標は計画に

 一年ほど前、フリーランスを長く続けていくために、一番大事なのは計画だと書いたことがあります。

 目標がないと計画は立てられません。だから夢は目標のタネに、目標は計画のタネにすることで、自分の進路は切り開かれていく。もし、1人で切り開くのが不安だからと誰かに師事をしたとしても、これは、自分自身が己の中に作り上げていかなきゃいけないものです。そうじゃないと、自分の人生を自分の手で作れない。

 夢は願えば叶う。

 確かに綺麗な言葉なんですが、それに身を委ねて、そうして願い続けた結果、何も叶わなかった時自分に何が残るのか。
 それは時折振り返ってみるといいんじゃないかなと自戒を込めて思うのです。

  1. もう より:

    そうそう、
    「フリーランスを長く続けていくために一番大事だと思うこと」
    を読ませて頂いて、すっげぇ共感したんですよ。
    高卒で社会人になり、最初は無我夢中に仕事を覚えながら頑張ってたんですよね。
    この頃は、目標とか計画なんて言葉は自分の中にはなかったですねぇ。…( = =) トオイメ
    40年近く前かなー笑
    いまは、目標とか計画の大切さは身に染みてますが、定年が見え始めているのでちと遅かったかなーなんて思ったりしてます。
    その分、子供とか、一緒に仕事している若い連中に伝わればと思って布教してますよ。笑

    • きたみりゅうじ きたみりゅうじ より:

      計画と、そこに自分の努力を重ねて検証するサイクルの大事さ…自分も子どもになるべく早くわかってもらえたらと伝えているんですが、なかなかピンとこないみたいで今ひとつ真面目に聞いてくれません(笑)

  2. うさこ より:

    私は昔、法律資格の勉強を働きながら何年も続けてて、10年前に仕事が行き詰まり、うつ病になって、その後もちびちび続けてた司法書士の勉強をやめて5年位たちます。
    病気になってからは、身体も思うように動かなくなって、きたみさんのおっしゃる通り、願ってた事と現実の落差に更に落ち込んでしまうループで全然勉強も進まなかったです。お金を出して講座も受けられるようにしても心が勉強に向かわなかったです。
    この5年は障害者の就労支援の訓練を経て、就職して社会復帰して、必死に今の職場に受け入れてもらおうと働いて、自分が途中でやめた勉強もAI化で仕事が無くなるかもとか自分で言い訳をつけて見ないようにしてました。
    で、今の職場にも見切りをつけ、転職活動をしているのですが(きたみさんのブログを読むようになったのはこの転職のために、これからはIT系だと思い、IT系の資格を取ろうとキタミ式を手に取ったからです)、今度面接を受けるところが法律知識もあった方が良さそうな職場で、商法の事を思い出してるうちに昔オンラインで受講してた講師の先生の事を昨日思い出して、今日のきたみさんの文章で。
    この講師の先生は、穏やかな先生で講義の合間にも法律を使う人間性の大切さを折に触れて教えてくれた方でした。この先生が予備校をお辞めになってから、別の先生の講義も受けたけど、病気もその頃は発症してたから、続かなくて。
    先生のお名前で検索したら、今も元気に司法書士事務所を切り盛りしながら、当時の人間性を反映したお仕事をされていて。先生のブログを読み、私がやりたかったけどやり残した事(必ずしも素質がある訳ではないけど)にどう向き合っていったらいいのかなって考えを巡らせているところでした。不思議な事に今日のamazonのKindleの日替わりセールもたまたま北海道でロケットを作ってる社長の本でしたし、きたみさんの今日の文章も「大人になっても、年を取っても夢ってムリに捨てなくても良いのかもしれない。現実に折り合う範囲でできる事をしても良いかも」って思わせてくれて、夢を持つ勇気が少し出てきました。

    • きたみりゅうじ きたみりゅうじ より:

      しんどい思いをされてきていたんですね。詳しく書いてくださりありがとうございます。

      僕の信条のひとつに、「忘れた頃に心の中のおもちゃ箱を開けばいい」っていうのがあります。あれもこれも、その時々で夢中になって培ったものや、必要と思って勉強したもの。それらが生かせないと無駄な時間を過ごしたようで焦ったりするんですが、郷に入っては郷に従えで今いる世界に足場を固めた時、ちゃんとその業界に慣れた後に、そういう過去の蓄積を紐解くと、意外に「別業界だからこそ組み合わせて活用できる、周りの人にはないスキル」が作れたりします。

      無理に夢見る気持ちを捨てる必要はないですよ。
      100%そちらに向かえないと駄目…じゃなくて、うさこさんのおっしゃるように、「折り合う範囲」で人生を肉付けする材料に使えばいいと思います。大人って、歳を取って悪いことばかりじゃなくて、そのへんのバランスをうまく取ることに長けてきているとも思うので。

      とりとめもなく書いちゃいましたが、芽生えた勇気が良い方向に進むきっかけになるといいですね(^-^

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