60歳になった自分から今の自分を引き算する考え方

 先日、「たまには真面目なことも書こう」と思ってこんな記事を書いたところ…

 それを読んだ古い付き合いの編集さんが、こんなことをツイートしていました。

 そう言われれば、当時(35歳くらい?)はそんなことを言っていた気がします。すっかり忘れていました。
 忘れてはいたものの、大事な考え方だとは今も思っているので、ちょっとここに書き留めておくことにします。

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そもそもは転職イベントで行っていた講演の一節でした

 当時は手がけていた連載の関係で、定期的にお呼ばれしては、転職イベント会場で講演を行っていました。

 そこで良く話していたのが「失敗しやすい転職と失敗しづらい転職のちがい」というものです。どういう人が転職後に後悔しやすいのか、ざっくり言うと「受動的な転職はまず失敗する」「能動的な転職はより安全」ってなことを話していたように記憶しています。

 ここでいう「能動的な」というのは、会社が自分をどうしてくれるではなくて、自分が自分を育てるためにその会社をどう使うかという視点の話です。そのためには誰よりも自分自身が「これをやりたい」「これを身につけたい」と考えることができていないといけません。それも、「今ちょっとこれやりたいんだよね」ってレベルじゃないもの。

 ……こうした話をすると、決まって出てくるのが「その『やりたいもの』がわからない」という声でした。そこで僕がいつも言っていたのが「60歳になった自分をイメージしてみてください」ということです。
 そして、「どんな60歳の自分であれば自分は嬉しいと思えるのか、それをイメージしてみてください」と、少し時間を設けて考えてもらうようにしていました。

未来の自分に託してやれる貯蓄は、今の自分が貯めたものだけ

 僕は考え方のクセとして、ゴールを仮設定してそこから逆算してみることをよくやります。そうやって指標を立てた上で目先のことを考えないと、順調に進んでいるつもりがあらぬ方向へ迷い込んでいた……なんてことが起こりうるからです。いつの間にかクセづいていました。

 仕事についての話をしていて、事がキャリアの選択に及んだ時、ついつい目の前の仕事や、目の前のスキル、それをどう伸ばすかとか身につけるかとかばかりに気をとられてしまうケースは少なくありません。
 でも、本来一番大きな目的って「どんな人生でありたいのか」だと思うのです。会社や仕事というのは、いわばそれを実現するための一手段に過ぎません。だから、目的を見失ったまま手段についてだけあれこれ考えてもしょうがないと思っちゃうんですよね。

 そこで、目的に立ち返ってゴールを仮設定してもらうための手段が「60歳になった自分をイメージして……」というものでした。

 たとえば田舎で暮らしたいと思っているのに、都会でしかできない仕事を選んでいたらいつまでもそこには近づきません。
 たとえば老後は孫に囲まれる生活がいいなと思うなら、仕事オンリーじゃなくて、家族を持つ方向にどこかで舵をきらないと駄目だとなってくることでしょう。

 仮に今の自分が自分のやりたいことをわからないと思っていたとしても、「こうありたい」と願う60歳の自分と今の自分とを比較してみれば、そこに足りていないものが見えてきます。じゃあ、それを補うには……と考えることで、また違う視点が生まれてくるだろうと思うのです。

 今、自分が採ったその選択は、まちがいなく未来の自分に対して影響を及ぼします。何を貯えて未来の自分にバトンタッチするのか、その責任が今の自分にはあるのです。

とか言いつつなんで忘れてたかというと……

 こんなことを書いててあれなんですけど、冒頭に書いてあるように、自分自身でもこの話、すっかり忘れてしまっていました。

 なんで忘れていたのかというと、実は当時思っていた「60歳になった時の自分に持たせるべきもの」と考えていた事柄はもう全部やり終えちゃったからなんですよね。どこに住み、どんな家族構成で、どんな暮らしをしているか……。この先も紆余曲折はあるでしょうけど、それは今のベクトルの先にあるもので、何かを大きく動かさないといけないことはもう残っていません。

 考えてみれば、一番舵を大きく切ったのは、間違いなくフリーランスになったことでした。
 自分の思い描く子育てや生活は、絶対このサラリーマン生活の先にはないと確信してたんですよね。だから、辞めることにまったく躊躇はありませんでした。だってそこに目的に叶う道はないんだもん。

 60歳になった自分が実際に笑ってるかどうかはまだわかりませんが、とりあえずやることは全部やったので、「未来の俺に対する俺の責任はもう終わりました~」っていう感じで、最近は少し気楽に過ごすようにしています。

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